こんにちは。
今日は私がずっと目指してきた「悩みのない人生」について思うところを書いてみようと思います。
すべては悩みのない人生を目指して
振り返れば私は「悩みのない人生」というのをずっと目指していました。
雨の日も風の日も学校に真面目に通ったのも
全然興味のない数学や科学をを勉強したのも
大学に行ったのも
臨床心理士を目指したのも
結婚したのも(もちろん夫のことは大好きでしたが)
アロマを学んだのも
あれここれもすべては悩まない人生になる=幸せになると思っていたからです!
ばっかじゃないのぷぷぷと思った方はこの先、読まれる必要ないかと思います。
でも、そういう人生を目指している方がひとりでもいらっしゃるならと思い
恥を忍んで胸の内を書きます!
そもそも、人は誰しも「幸せになりたい」と思っているでしょうし
あらゆる選択肢はその人の基準で「幸せになるかどうか」で選択されているはずなので
その基準が「お金があったら幸せ」なのか
「美人だったら幸せ」なのか
「いい大学出てたら幸せ」なのか
「肩書あったら幸せ」なのか
「結婚してれば幸せ」なのか
「毎日自由に過ごせたら幸せ」なのかはその人次第ですが
私の場合の基準は「悩みがなければ幸せ」だったということです。
無駄に繊細でモジモジさんな私
そもそも小さい頃から神経質で、些細なことを気にして引きずるタイプでした。
今でも私が「ほら、私って無駄に控え目でモジモジさんでしょ?」というと
ゲラゲラ笑いながら「確かに!確かにそうね!」と言われます。
なぜに爆笑されるのかはよくわかりませんが、自他とともに認めるモジモジさんです。
なんですが、が、私の場合、「それはおかしい」ということは言ってしまうタイプで
「いやいやいや~、それはダメですよ」とか
「え?そんなのおかしいですよ」とか言ってしまうので
反感買うことも、ままあります。
以前はそれがすごくイヤで
「生意気って思われたくない」とか「可愛げがないって思われたくない」とかいう気持ちが強く
それでもどーしても我慢できないことは「いや、それおかしいです」って言って
「あー嫌われた」と鬱々することが多かったのですが
ある時を境に「あれ、言ってくれてめっちゃすっきりした!」とか
「そんなこと言えてすごい!」とか
「私も同じこと思ってたけど、言えずモヤモヤしてた」とか言われることが続き
アロマの先生にも「それは短所じゃなくて長所でしょ」と言われ
「あ、そうか。そういう捉え方もあるんだ」と思うようになってからはあまり気にしなくなりました。
話がそれましたが、そう、とにかく神経質で些細なことを気にするタイプの私は
あれこれ思い悩むことが多かったこともあってか
「悩むってしんどいなー」といつしか思うようになったんですよね。
それで「悩みのない人生にしたい」と目指すようになりました。
で、アロマを学んでどうなったか…・
悩みっぱなしの人生でした(笑)
それこそ1つ解決したら、すぐまた何か問題抱える…の繰り返しで
何やらいつも悩んでいた気がします。
今となってはその理由もわかるのですが、当時は「なんで私ばっかりこんなに悩むの?」と
思っていましたね。
アロマを学んで変化したこと
そしてアロマを習った今、悩みがなくなったかというと
なくなりません(笑)
ただ、以前とは全然違うなと感じます。
前は、ひたすら悩みはなくすもの!よくないものと思って戦っていましたが
今は「私にとって必要のなくなった囚われやこだわり、パターンに気付かせてくれるもの」という認識が大きいです。
そしてそれらは時間をかけて形成したものだから、変化するにもある程度の時間は必要だよなと悩みの解決に変に焦らなくなりました。
以前の私は「あー、どうしよう。あー、どうしよう」でしたが
今は「私の何が変化したらよくなるかなあ」と考えます。
とにかく私は超がつくほどエリートジャッジマンでしたから
そんな私にとって悩みは悪、邪魔、必要ない、なくすものでしかありませんでした。
今は不足や不満があっても「それでも今の私にとってはこれが精一杯」と思えるようになりました。
不足や不満があっても「今の私にはこれがちょうどいい」と受け入れられるようになりました。
や、もちろん神様仏様ではないので、「むかーーーっ」となることも
「ええええええ」と落ち込むこともありますが(全然あります)
切り替えが早くなりました。
この変化は、人生経験もあると思いますが、
やっぱりアロマの力だと思っています。
なぜアロマの力なのか。
理由は、植物はジャッジしないから
そんな植物のいのちの塊といえるアロマを使い続けることで
私の中にもジャッジしないという感覚が少しずつ育ってきたんだろうなと思います。
類は友を呼ぶとか
周波数の法則とか言いますが
優しい人の周りには優しい人が集まるように
ジャッジしない植物の力を毎日使い続けていたら
超エリートジャッジマンの中にもジャッジしないという感覚が育ったよというお話でした。
結構一生懸命書いたこのブログ、消えて書き直しました
消えたことが分かった瞬間「ぎゃーーーーー」となったというオチつき(笑)