1歳で知的障害を抱えることになった大叔父の話のつづきです。
祖父母が高齢になって面倒を見ることが難しくなったため
大叔父が施設兼病院に入ることになったことを母から聞いた私は
社会人になっていました。
大叔父は1歳で重度心身障害者となり
福祉制度も整っていなかった時代だったこともあり、
ただの一度も学校に行ったことがなく働いたこともなく、
したがって、たった一人の友達も、たった一度の恋愛すらしたことがない人でした。
そんな大叔父の人生っていったい何なんだろうと私はずっと思っていました。
「かわいそう」というのはおこがましいですが、なんというか…
「何の意味があるんだろう」という気持ちをぬぐうことができませんでした。
施設に入っても祖父母以外、誰も会いにきてくれる人はいません。
その祖父母も高齢のため、月に一回、施設の支払いを兼ねて面会に来る程度でした。
そんな大叔父の毎日を考えたら胸が締め付けられる感じがして
私は一人で何度か面会に行きました。
久しぶりに会う大叔父は、私のことがわかっているのかいないのかすらわかりませんでした。
でも、起き上がって、簡単な会話はできたと思います。
ちょうど桜が咲く頃だったので、車いすに乗せて施設の周りを桜を見ながら散歩しました。
「おやつに食べさせてください」と甘いものを差し入れしたこともありました。
でも、そんなことをしたのも本当に数回です。
そのうち私は県外に行くことになり、結婚し、実家に帰ること自体が年に数回、
次に大叔父に会ったのは大叔父の葬儀のときでした。
施設に入ってから20年近く。
ほぼ寝たきりで、ただただ天井を見て過ごす毎日を想像すると何とも言えない気持ちになります。
そんな大叔父の話を思い出すままつらつらと話し
「でも、この話が一体何の意味があるのかわからない」と言うと
施術者の人が「私が感じたことがあって、それを言ってもいいと筋反射で出てるから言うね」と
思いを話してくれました。
ちょうどそのころの私は、大きな喪失体験をしていて
人生がガラッと変わった時期でした。
人生を180度方向転換しなければならなくなり
色々試行錯誤したりもがいたりしながらも
「これ!」という方向性を見出せず、ちょっと疲れていました。
そして「もしかして私の人生、もう余生なのかもしれない。
多くの人は60歳とか65歳で定年退職を迎え
その後、15年とか20年くらいを余生として送って、85歳前後で死ぬわけで
私ももしかしたらもうあと15年くらいで死ぬとしたら、もう余生だから
人生なんとかしなきゃって頑張らなくていいのかもしれないって思う」なんてことを
施術者に話したばかりでした。
施「あの時はちょっとびっくりして言葉が出なくて笑うしかなかったけど」と
施術者の思いを語ってくれました。
内容はだいぶ忘れてしまったのですが(笑)
その大叔父の話から
「そういう人たちは、私たちの想像も及ばないくらい魂が純粋だって言われたりするけど
本当にそうかもしれなくて、寝たきりで天井見る生活に何の意味があるんだって
私たちは思うかもしれないけど
窓から見える景色の移り変わりや、食事の時間やお世話してくれる人がくる時間を
楽しみに待ってたかもしれない。
何かしなきゃいけないとか、何かしてなきゃ意味がないって思う必要ないんじゃないかな?
それは今のあなた自身にも言えることで」
的な内容だったと思います。
「確かにそうですね。私はいつも何かしなきゃっていう気持ちがあるように思います」
なんて気付きから
「ただ在ることを受け入れる」ことを目標にして、調整してもらったのです。
(その目標も筋反射で「今の私に最適かどうか」聞いて設定します)
セッションが終わったあと、改めてすごいなあと思いました。
大叔父の話なんて、その時私の頭の中には全くなかったんですよー!!
それが筋反射で聞いて、釣り上げられて、
釣り上げられたけれども、その話が一体今の私とどう関係するのかわからなかったのに
大叔父の話を聞いた施術者の中に湧く思いから
「あ、そうか。私はいつも「do(すること)」ばかり考えていて「be(在ること)」に
意識が向いてないなあ」という気付きにつながるという。
潜在意識すごい
筋反射面白いと思いました。
それで筋反射の練習会に参加して、練習を重ねるとともに
筋反射を使ったさらに深いセッション、このインテグレーティッドヒーリングを
学びに行くことにするのです。
続きます