自然療法と聞いて拒否反応を示す人いらっしゃいますよね。
アロマ、ハーブ、ホメオパシー、フラワーエッセンスetc…
それから今は色んなヒーリングもありますね。
クリスタル、音叉、カラーなど。
私はフィボナッチヒーリングやインテグレートヒーリングを定期的に受けています。
おもしろいですよー。
あとは、民間療法なんかも入るのかな?
そういうものに拒否反応を示す人はおそらく
「胡散臭い」「効果がない」「科学的根拠がない」「宗教チック」という印象なんでしょうか?
自然療法のよしあし
科学的根拠がない(=胡散くさい)ということに関しては
科学で解明できていないことの方がこの宇宙の中には多いので
科学的根拠がないという理由だけで却下するのはちょっと残念かなあと思います。
効果がないということに関しては、確かに即効性が感じらるものが少ないので
切羽詰まった状況では不向きかもしれません。
今にも心臓が止まりそうとか、大量の出血止めなきゃ!とか、身体の中の出血とか
酷い痛みとかは即病院です。
でも、根本から変えていくものだと思えば、時間がかかることは仕方ないとも言えます。
長い時間をかけてその症状なり病気なり体質になっているので、それを変えていくには
やはり時間は必要だと思います。
それから、例えば蚊に噛まれてかゆいときにティーツリーオイルを塗ると
かゆみは治まりますが、
ティーツリーオイルは10mlで3000円程度しますので
それならムヒ買った方がいいわと思う人も多いというのもあるかなあと思います。
これはもう、「わかります!」としか言いようがないのですが(笑)
ある時、私大量にトマトを頂いたことがありまして
夫と2人暮らしでその大量のトマトをどうしようかと考えたときに
「そうだ!トマトソースにして冷凍しよう」と思い
トマトソースをイチから作って
せっせとトマトソースを生のトマトから作ったことがありました。
にんにくを大量に刻んで、トマトも刻んで、水分飛ばしながら煮詰めて…という作業をしたのですが
いざソースにしたら「あれ?これっぽっち?」という量になってしまいました。
トマトは本当にかご一杯頂いて
鍋いっぱいのトマトを煮詰めて味付けもして
これでひと夏トマトソースはあるぞと思っていたのですが
出来上がった量は、パスタ2人前で、3回分あるかないかくらいで拍子抜けしたことがありました。
で、その翌日、新聞の折り込み広告に近所のスーパーのチラシが入っていて
お買い得商品を眺めていたんですね。
そしたら、そこにトマトパスタのレトルトが「お買い得!」の文字とともに載っていて
それが1人前98円だったんですよ。
え?1人前98円?
私が昨日やったあの作業+トマト代含めて1人前98円?
と非常に驚きまして
だってトマト代含めて98円ですよ???(しつこい)
どうやったらその値段で提供できるのかと考えてしまいました。
製品を作って加工して、卸して、店頭に並べて98円で売って、それでも利益が出るって
一体原価はいくらですか?って考えるとちょっと怖くなりまして
そう考えると、安いということだけを一番に買い物をしてはいけないのではないかと深く思いました。
確かに安いって魅力的です。
でも、「等価交換」という原則で考えると
安いものにはそれだけのエネルギーしかかけられていないということでもあります。
そして、それを買うということは自分も小さなエネルギーしか出さなくてすむということです。
ということは循環自体が小さいということになります。
生活全てにおいて、それでいいのか?ということは考える必要があるのではないかと思います。
健康と、教育に関しては「安い」という基準は優先順位は相当低くてもいいのではないかと
私は思います。
心を動かすことの大切さ
古代では、芸術が治療だったそうです。
それは芸術が心を動かすから。
芸術とは「文芸・絵画・彫刻・音楽・演劇など、独得の表現様式によって美を創作・表現する活動。また、その作品」(ググりました)を指しますが、
人は、それらに触れて心が動くことによって治癒がすすむという考えです。
これは現代においても言えることだと思います。
身体がしんどい時はもちろん
特に精神的な病は心が動かなくなります。
なので心を動かすことが治癒への一歩
ムヒやサロンパスやイブでは心は動きません。
でもね、精油の香りをかいだ人は「うわああああ」って皆さんうっとりされます。
次々とボトルの蓋をあけて、あれもこれも嗅いで「きゃあこれいい!」「わ!こっちもいい!」「これ、何の香りですか?」と
そりゃーうっとりきゃあきゃあ皆さんが心動かされていらっしゃる姿を見るのはとても楽しいです。
主体性が必要
あと、自然療法では同じ頭痛でも私の頭痛とあなたの頭痛は違うものになります。
なので、私の頭痛にはペパーミント精油が良かったけど
あなたの頭痛にはラベンダーが良いかもしれない
私の頭痛は冷やして楽になるけど
あなたの頭痛は温めて楽になるかもしれない
これはどういうことかというと「自分が主体」ということです。
今、「自分軸」とか「主体性を取り戻す」とか「私らしく」なんて言葉がキラキラ界を席巻してますが
そういうものを見つけたければ、外国に一人旅するより自然療法に親しめばいいと思うのは私だけでしょうか。
私はアロマを深くやるようになって、「ゆらぎ」を受け入れられるようになりました。
くそがつくほどの真面目な私は、常に一定じゃないといけないみたいな感覚が無意識にあって
だからズルい自分やみっともない自分は認められなかったし
ちょっと頭痛がしたり足が痛いだけで大騒ぎするような神経質さもありました(しんどー)
でも、今は「ちっ!バカがー!」と舌打ちする自分も自分だし(笑)
頭が痛いときも鼻が詰まるときも、意味もなくテンション下がるときもあるけど、まあ健康だからいいかーと思えるようになりました。
あと、他人は他人という感覚も、頭ではなく腹落ち(まではまだいかないかもしれなけど、それに近い)しました。
人の成功や幸せを真似てもしょうがない、私には私の成功方法や幸せがあるんだなーという
(私がペパーミントだけどあなたはラベンダーなのね、みたいな感じです)
それがわかったから、変な焦りもなくなりました。
きっとこんな感覚は「頭が痛い人はみんなイブ飲んどけ」っていうやり方では培われない感覚だったと思っています。
自然から離れるほど病気に近づくとは、医学の父と言われるヒポクラテスの言葉ですが
本当にそうだと思います。
自然から離れないこと、自然に親しむこと
心を動かすこと、
自分が主体
そんなアロマセラピーを一緒に学んでみませんか???