ホームページの見直し作業を通して
ただいまホームページのリニューアル中です。
リニューアルするにあたり、再度自分を深堀りしています。
これが結構大変だし、時間かかるし、言うなれば面倒臭い…( ´艸`)
途中で投げ出したい気持ちがわいてばかりだけど、
ここで踏ん張らないと仕事を通して人に喜んでもらうことはできない!と思い
自分のお尻を叩いています。
「ここをもう少し詳しく」とか「ここは必要ない」など、アドバイスを頂いてはいるのですが
何をどう書くかは私が決めることだし、
私の中にあるものを伝えなきゃ、人には響きません。エネルギーが乗っていないものは響かないですよね。
改めて、経営ゲームとアロマ講座をなぜやりたいと思ったか、魅力は何か、受けるとどういいのかということを「私が受けたときの、あのめっちゃ感動した気持ち」を思い出しながらまとめています。
その中で、今までどうしても書けなかったことを載せることにしました。
まずはプロフィール欄に書きました。
夫を三年前亡くしました。
別に隠してきたわけではないのですが、ホームページやブログ、インスタ、FBなど、不特定多数の方が見る媒体に、わざわざ載せることではないなあと思って、書いたことはありませんでした。
レッスンや講座を受けて下さった方など、リアルにお会いしたときには話してはいたのですが、
なかなか文章にして残すことには抵抗があり、避けてきたのですが
なぜ私が臨床心理士として仕事をするのではなく、経営ゲームやアロマを通して「人の変化や成長をサポートする」ことに至ったのか、それを伝えるにはやっぱり書いた方がいいかなあと思った次第です。
今までも「書いたら?」と言われたことはあったのですが、自分の中でまだ整理がついてなかったのかな?受け入れてなかったのかな?
書いた今も、別に区切りがついた!気持ちの整理できた!というわけではないのですが、誰かのお役に立てたらいいなという思いです。
なんで私がこんな目に合わなくてはいけないの?と思っていた3年前
心理士として病院で働いた期間、色んな方の悩みや問題をお聞きし、一緒に解決のために考えてきました。
なかには「運が悪いとしかいいようがない悩み」を抱えた方、「自分ではどうしようもできないことからくる悩み」を抱えた方、「解決できない悩み」を抱えた方もいらっしゃいました。
例えば、病気や借金、離婚問題は「病気を克服した」「借金返して、そこから逆転お金持ちになった」「再婚して幸せになった」としたら「あの時のあの経験があったからこそ、今こうして私は幸せになれた」と思えますよね。
でも、そうではない「取り返しのつかないこと」を抱えたら?
「犯罪被害者になった」「事故で一生障害を抱えることになった」それから人の死。
これらは、そのあとどんなに幸せになっても「あの経験があってよかった」とはならない出来事です。
そんな状況におちいった人に、私は心理士時代どんな言葉をかけていいかわかりませんでいた。
そしてその悲しさや苦しみに寄り添うことがしんどかったのも正直な気持ちです。
「どうして私がこんな目に合うんでしょう?」と聞かれたときに言うべき答えを自分の中に持っていなかったから。そんな私が、この人の前に座ってはいけない、そんな風に思ったこともありました。
そんな私が3年前、夫を亡くし「なんで私がこんな目に?」という思いを抱いたのです。
解決できないことから得た気付き
夫が亡くなってから半年間くらいの記憶がほとんどありません。
実家に帰ったので一人ではなかったのですが、
朝起きて、犬の散歩行って、仏壇にお参りして、一通りのルーティンが終わったら
それからはずー----っと一日テレビの前にいました。
ワイドショーみたり、見逃し配信でお笑いみたりして何も考えず夕方まで過ごして
4時くらいになったら、また犬の散歩行って、仏壇にお参りして、
一通りのルーティンが終わったら5時くらいから8時くらいまでずー--っとお酒飲んでました。
で、9時くらいになったら寝る。
翌日また起きて、犬の散歩行って、お参りして…以下同文
そんな生活を半年以上したかな。
それから少しずつ動き始めるのですが、夫が亡くなって以降、ずっと思っていたことがありました。
それは「なんで私がこんなつらい思いをしなくちゃいけないの?」ということでした。
真面目に正直に生きてきたのになんで?
前世で悪いことしたのかな?
この先、幸せになったとしても「夫が亡くなってよかった」とは絶対思えない以上、
ずっと抱えていかなきゃいけない
そんな出来事に一体何の意味があるんだろう…
そんなことを常に考えていました。
色んな人が色んなことを言ってくれました。
それは本当に有難かったのですが、
でも、「そうは言っても…」と思うばかりで
私が納得する答えは得られませんでした。
そんなときに、一緒にアロマを学んでいた仲間の一人が数年前にお子さんを病気で亡くしていたことを知ります。
数年経ったそのときも、彼女はお子さんの話を泣きながらされ、
「私が丈夫に生んであげられなかったから」「私がもっとこうしてれば」と後悔と自責の念にかられていました。
その時私は大切な人を失うという辛さが痛いほどわかり、だたただ聞くしかできませんでした。
余計な質問も、余計な言葉もかけることなくただ、その辛さが彼女の中にあることを一緒に感じたという体験でした。
その時に、取り返しのつかない体験は、同じような体験をした人の役に立つことで意味ある体験にできるのかもしれないと思ったのです。
決して「あれがあって良かった」という体験にはならないけど
「意味があったかもしれない」くらいにはなるのかなと思いました。
逆に言えば、その体験を誰かの役に立てることでしか「意味ある体験」にはならないんじゃないかと思いました。
これは私が得た気付きで、私にとっての正解です。
なので別の答えももちろんあるでしょう。
でも、私の中で納得できる答えがやってきたとき、夫の死というどうしようもできない出来事が
私の中に納まるスペースができた気がしました。
もちろん、だからと言ってすぐに割り切れたわけではないし、
その後もふとした瞬間(普通に一人で道を歩いているだけ)に涙がボロボロ出たり
相変わらずお酒を飲んだくれる日々は続いたりと
精神的な波はありましたが、
出かけたり、人と会ったり、仕事をしようという行動する気力が出てきたように思います。
これは誰かから言われたことではない、自分で気がついた答えでした。
大切なのは本人の気付き
言葉にすれば当たり前すぎることなのですが、結局は自分が心から納得したことじゃないと人は変化できません。
いくらカウンセラーや講師や他人が教えてもあまり意味がなく、
またその人が受け取れる時期というのもあります。
なのでやっぱり自分で気付くしかなく、それは自分の無意識や内面を視覚化、見える化することで気付けることが多いように感じます。
そういったことから私は香り(アロマ)や経営ゲームを通してその人の気付きをサポートしたいなと思ているのです。
人は(私も含めて)、すぐに答えが欲しいと思いがちです。早く解決したいし、早く楽になりたいから。
でも、苦しくてもそこに踏みとどまって、自分で得た答えにこそ価値があるのです。
私は自信を持ってそう思います